〜 自分の内に吹いている 風の響きに耳を澄ます 〜

しあわせの素

しあわせの素


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もくじ

1:「一番大切なこと」
2:「チューニング」
3:「愛のエネルギーで断る」
4:「カオナシ」
5:「私は今」
6:「もしあなたが」
7:「本当の自分」
8:「しあわせであるために」



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1:「一番大切なこと」

毎日、毎瞬、今この瞬間
しあわせであるために

一番大切なことは‥

したくないことはしない
我慢をやめることです

本当はしたくないことを
ついつい我慢して
やってしまっていませんか?

相手に悪く思われたくなくて…
ことを荒立てるのが怖くて…
立場を悪くしたくなくて…
或いは、モメるのが面倒で…

本当はイヤなのに
ついやってしまう

これは
他人に自分を差し出している状態です

これをすることで
何よりも大切な「自分の中心」が
傷つき、消耗し、疲れてしまい

悲しく、虚しく、イライラと
ストレス全開になってしまいます

他人が自分をどう見るかなんて
知ったこっちゃありません

そんなのは大抵
自分の恐れの妄想で
何の意味もないのです

だいたいそんな妄想は
相手を「了見の狭い人間だ」

と決めつけているわけなので
相手に対しても失礼です

きっと私のことを悪く思うだろう…
ことが荒立つのが怖い…
立場が悪くなるのは困る…
モメるのは面倒だ…

などと勝手に思い込んで妄想し

本当は「ノー」と言いたいところを我慢して
自分が「イエス」と言ったにも関わらず

まるで犠牲者のような気分で
ストレスを抱え、相手を恨めしく思う

その気持ちが溢れてくると、つい
他の誰かに愚痴を言ってしまったりもします



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2:「チューニング」

さて
誰かに愚痴を言っている時

自分の周波数は
どうなっているかというと

自らチャンネルを回して
低い周波数に
チューニングを合わせている状態です

周波数が下がると
恐れのエネルギーレベルは
どんどん上がってきます

そうして
自分の目の前で繰り広げられる現実は
もちろん恐怖番組です

恐怖番組、お好みですか?

もしそうなら
選択はバッチリです♪

もしそうでないなら
チューニングが合っていない

ということになりますね

さて一体
どこで間違えてしまったのでしょう?

はい
そうです

嫌なら最初にキチンと
お断りすればいいのです

したくないことをしない
我慢をやめる

もしそうすれば、なんと
周波数は一気に上がります

なぜなら

したくないことをしない
我慢をやめる

ということは

「自分を大切にする」という
愛の選択に他ならないからです



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3:「愛のエネルギーで断る」

もしかしたら
恐れの妄想が強すぎて
断れないのかも知れません

断る時に、波風を立てたり
争ったりする必要はありません

争いになる場合というのは、大抵
恐れのエネルギーで断る場合です

例えば

自分が断ったら
相手が気分を害するのではないか?

と負の妄想を抱き
ビクビクと腰が引けた状態で
申し訳なさそうに断ったりしてしまうと

相手はあなたを
踏みつけたくなる‥のかも知れません

また逆に
断る自分を正当化するために

私は正しい
あなたは間違っている

という
上からのエネルギーで断ろうとすると

相手が気分を害したり
争いや亀裂が生じることもあるでしょう

でも
そんな争いや亀裂を生まずに
軽やかにお断りする方法があります

ただ「自分を大切にしたいから」
という愛のエネルギーで

にっこり笑って

「私はそれをしたくありません」
「私はそれをしません」

と伝えてみるという方法です

力むことなく
フラットにニュートラルに

ゆるやかに、軽やかに
さらっと伝えてみましょう

試しに一度やってみて
相手がどう反応するか
確かめてみてはいかがでしょう?

もしかすると
「あ、そうなんですか、分かりました♪」とか
「では他の人に当たってみますね♪」と
簡単に受け入れられるかも知れません。

もしかすると
「どうしてですか?」
と聞かれるかも知れません

したくない理由があるなら
それをただ言えばいいだけです

特に理由はないけれど
ただなんとなく気が進まない

という場合もあるでしょう
理由なんかなくても構いません

理由がないと断りにくい
などと思ってはいませんか?

どうして自分がしたくないことを
「したくない」と相手に言うのに
理由が必要だと思うのでしょう?

「別に理由はありません
ただ私はそれをしたくないだけです」

と柔らかく、爽やかに
伝えることは可能です

「そういう風に伝えた場合に
何が起こるか実験してみよう♪」

くらいの気軽な気持ちで一度
試してみてはいかがでしょうか?

別に試したからといって
死ぬわけじゃなし。ね?

自分が誰かにそんな風に
柔らかく爽やかに断られたら

と、想像してみてください

どんな気持ちになりますか?
腹が立ちますか?

私だったら

うわぁ
そんな風に断るなんて素敵だなぁ‥と

自分をしっかりと持って
ハッキリと意思を伝えるその人に
感動するんじゃないかなぁ‥と思います



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4:「カオナシ」

でも
そんな風に柔らかく断った時に

もし、相手が恐怖妄想通りに
恐ろしい怪物のようになって

自分に対して
怒ったり、非難したり、
自分を嫌ったりしたとしたら…

それはそれで逆に
ビックリしませんか?

だって
嫌なことを嫌だ
と言う人に対して

その人は
一体何の権利があって

そんな態度を取ることが
出来るというのでしょう?

「ひぇぇ…この人って、こんな自分中心の人だったんだ〜!
おっそろし〜い。いゃぁ、早めに分かって良かったわ〜。
今後はできるだけ関わらないようにし〜よぉっと♪」
と理解すればいいだけのことではありませんか?

そんな人と
仲良くしたいですか?

そんな人との関係性を
今後もキープしたいですか?

そんな人の要求を
我慢して受け入れ続けたら‥

一体どうなると思いますか?

もちろん
要求は増幅していきます

他人の領域に平気で
土足で入って来ます

これを「領土侵犯」と言います

さて、そんな状況になったのは
誰のせいでしょうか?

そういうタイプの人は‥

自分をハッキリ持って
凛としている人に対しては
まず領土侵犯してきません

自分の言うことを
大人しく聞いてくれそうな人を
本能的に見極めて近づき

最初は優しく様子を見ながら
徐々に領土侵犯してきます

領土侵犯されても拒絶しなければ
段々と厚かましく雑になり

それでも言うことを聞き続けたら
どんどん要求が増大し
態度は尊大になっていくのです

「千と千尋の神隠し」に登場する
カオナシみたいな感じです

さて、一体誰がこの現実を
作っているのでしょう?

もしあなたが今
毎日、毎瞬、今この瞬間
「自分はしあわせである」
と感じられない場合には

まずは
「自分がしあわせではない」状況を
他人や環境のせいにするのをやめてみましょう

「今の自分の状況は
自分が選んできた選択の結果である」

と理解し、自覚することが
その状況から抜け出す第一歩です

自分が選んでいるということさえわかったら
次はただその選択を変えればいいだけです



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5:「私は今」

私は今
私の状態に気づいている

これがとても大切なことです

楽しい時や嬉しい時、しあわせな時には
「あぁ楽しいな ♪ 嬉しいな ♪ しあわせだな ♪ 」
と気づきやすいのですが

気分の良くない状態の時には
ついつい自分の内側ではなく

外側(周りの人や環境など)
に意識が向きがちです

外側に意識が向いている状態
つまり周りの人や環境などに対して
不満やストレスを感じていることがあるのなら

外へ向けている人差し指をクルリと
自分の方へ向けてみましょう

といっても
「他人へのジャッジをやめて
自分にジャッジを向けましょう」
ということではありません

そうではなく

「自分の内側に意識を向けて
今の自分の状態にただ気づいてみましょう」
ということです

恐れの状態なら
「あぁ‥私は今、恐れているんだな」と

怒りの状態なら
「あぁ‥私は今、怒っているんだな」と

寂しい状態なら
「あぁ‥私は今、寂しいんだな」と

悲しい状態なら
「あぁ‥私は今、悲しいんだな」と

どんな感情であったとしても
その感情に溺れるのではなく

ただ「今の自分の状態」に
気づいて、感情をそのまま
ただ味わってみましょう



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6:「もしあなたが」

もしあなたが
「寂しい」と感じた時は

寂しさの原因を追求せず
寂しい自分をジャッジすることもなく

その寂しい気持ちをただ
しずかにそっと味わいましょう

その時あなたは
「今この瞬間の自分と共にある」状態です

するとそのうちに

寂しい気持ちは
すうっと溶けて消えてゆき

柔らかな安心感に
包まれることでしょう

もしあなたが
「悲しい」と感じた時は

悲しみの原因を追求せず
悲しんでいる自分をジャッジすることもなく

その悲しい気持ちをただ
しずかにそっと味わいましょう

その時あなたは
「今この瞬間の自分と共にある」状態です

するとそのうちに

悲しい気持ちは
すうっと溶けて消えてゆき

静かな
落ち着いた心持ちになれるでしょう

もしあなたが
我慢している自分に気づいた時は

我慢の対象を恨むのではなく
我慢している自分をジャッジすることもせず

まずはその不快さや重さを
ただしずかにそっと味わいましょう

その時あなたは
「今この瞬間の自分と共にある」状態です

するとそのうちに

苦しかった呼吸が、少し楽になり
重かった体が、少し軽く感じられることでしょう

気持ちに余裕が生まれ
状況を俯瞰して観ることができるかもしれません

状況を俯瞰して観ることができれば
その状況が自分の選択によるものだということに気づけ

我慢をやめるという選択肢があることを
思い出せるかもしれません

もしあなたが
我慢をやめることを選ぶなら

他人の中心で生きる状態から
自分の中心で生きる状態に戻ることができます

自分の中心は
宇宙の中心と繋がっています

宇宙の中心は
私たちの「いのちの源泉」であり「愛の源」です

つまり
我慢をやめれば
愛の源と繋がることができるというわけです

我慢の原因は
それを強いる相手でも
環境でもなく

あなた自身の恐れによる
あなたの選択に他なりません

あなたが我慢をすることは
自分に対してはもちろん

相手や環境にとっても
益にはなりません

我慢をやめて自分を大切に扱うことは
愛の選択であり

あなたがあなたの内と外に成し得る
最大の貢献なのです



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7:「本当の自分」

でも、もしあなたが

自分で自分のことが分からないとか
自分で自分の状態が感じられないとか
自分が何が好きで何が嫌いか分からないとか
自分が何をしたくて何をしたくないかが分からない
という場合

まずは

気づくところから
目につくところから

とにかく

自分にとって要らないモノを
手放してみてはいかがでしょう

はい、そうです
お片づけです

片づけとは
今の自分にとって大切なものと要らないものとを
ひたすら区別していく作業なので

それをどんどんやっているうちに
自分というものが見えやすくなってきます

まずは目に見えて、手に持って動かせる
持ち物の片づけをしてみましょう

モノの片づけが終わる頃には

自分が何が好きで何が嫌いなのか
自分が何をしたくて何をしたくないのか

が、片づける前よりも格段に
分かりやすくなっていることでしょう

自分が何が好きで、何をしたいのか
これが「本当の自分」です

自分が何が嫌いで、何をしたくないのか
これも「本当の自分」です

嫌いなこと、したくないことが
分かってきたら?

はい

したくないことはしない
でしたね

モノのお片づけの次は
コトのお片づけです♪

したくないのにやっていることを見つけては
次々と手放していきましょう〜♪

したくないことをやめるたびに
ココロとカラダはどんどん軽くなり
顔なんてもうニコニコです

したくないことをやめていくと
したいことが泉のように
自分の内側から湧き上がってきます

したいことが出てきたら
どんどんやって楽しみましょう♪

するとココロとカラダはさらに軽くなり
楽しくてしょうがないキラキラ状態です

そんな風に
本当の自分に還ったあなたは

今の自分の状態にも、きっと
気づきやすくなっていることでしょう



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8:「しあわせであるために」

私は今
私の状態に気づいている

これが
しあわせであるための基本です

自分がしあわせであるために
他の人は関係ないのです

ひとに頼るのをやめて
ひとをあてにするのをやめて
ひとにすがるのをやめて
ひとに自分を差し出すのをやめて
ひとを批判するのをやめて
ひとを変えようとするのをやめて

自分の足で
真っ直ぐに立ち

力を入れず、自然な呼吸で
ただ自分自身であればいい
ただそれだけです

すると自分の内に

安心感や静けさが
広がっていることに気づくでしょう

自分とただ一緒にいて
手ぶらで安らいでいる

これこそが
しあわせである状態
なのではないのかな〜

と思ったりする
今日この頃です


(2022.7.29 新月) 





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