〜 自分の内に吹いている 風の響きに耳を澄ます 〜

つながりの話

つながりの話


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もくじ

1:子どもの頃
2:プレゼント
3:エサをまく
4:人生ゲーム
5:リクエスト


1:子どもの頃


私は子どもの頃から小さなラッキーやミラクルなできごとが起こるたび「あ、また助けてもらった」とか「守られている」と自然に感じて目に見えない存在に対して「ありがとう」と心の中で思って生きてきました。


また石や建物やモノなどもそれぞれに気持ちを持って存在している気がして、ものマネ(人マネではなく本当にモノの気分のマネ)は今も結構得意です。


目に見えない存在や万物の想いのようなものと「共に在る」という感覚を、自分が普段から持っていることを客観的にはっきりと意識したのは中学生の時でした。


社会の授業で「太古の時代、世界の各地で人々が『万物に霊が宿る』という自然信仰を持っていた。それは一般に『アニミズム』と呼ばれている」と習いました。


「へぇ~じゃあ私のんはアニミズムや」と自分の普段感じている感覚に名前がついてとても嬉しかったことや「アニミズム」という言葉の響きが気に入って心の中で繰り返しながら下校したことを覚えています。


でもその後大人になるまで、このことをわざわざ誰かに話したりは特にしませんでした。それがそう特別なこととは思っていなかったからかも知れません。



2:プレゼント


だんだんと成長するにしたがって、時々「ピカピカッ!」っとひらめきが起こったり「こうしたい!」「こうなりたい!」という願いや想いが明確に鮮明に起こるようになり、お腹の底から強く願うとそれがミラクルに実現するという体験が増えて来ました。


ある時ふと「なんでこんな風に次々と想いが不思議に叶うのだろう?」と考えてみました。すると「お空のパパがプレゼントをくれている」とピカピカッ!っとひらめきました。


お空のパパは私たちのことみんなが可愛くてみんなにプレゼントをあげたいと思っている。でも「何が欲しいのか」がはっきりしていない子よりは「これ!」とはっきりしている子の方がわかりやすいので、わかった瞬間にサッとパッとすぐにあげられるのかも知れないな‥。


また「プレゼント」をあげた時それをプレゼントとは気づかない子と、気づいても喜ばない子、めっちゃ喜ぶ子がいたら、喜ぶ子に「またあげよ♪」と思ってしまうのかも‥。「プレゼントをもらえない」と思って怒っている子や「自分はパパから愛されていない」と悲しんでいる子がいると「違うよ」と思う。


パパはみんなのことが大好きで可愛いと思っているんだけど、その子が本当に欲しいもの、その子にとって本当に必要なものをあげたいと思っているだけやよ。それに本当はみんなジャンジャン「プレゼント」もらってるのに気づいてないだけと違うかなぁと。



3:エサをまく


またある時「なぜ私はこんなにも次々といろいろなことに出会うのだろう?」と考えてみました。すると「私たちはエサをまかれている」とまたピカピカッ!っとひらめきました。


エサは目の前から道のようにパラパラとまかれていて、小鳥のようにそれをぱくぱくとついばんでいくと自然といろいろなところに導かれます。様々な場所や人やモノやコトに出会う。次から次へと、どんどん出会う。


出会うことは素敵なこともあればつらいこともある。でもまぁとにかく出会う。つまり新しい体験ができる。素敵なことに出会えば喜べばいいし、つらいことに出会えば乗り越えればいい。


それだけのことなので私は餌をまかれたらあまり深く考えずに素直にぱくぱくぱくぱく食べて来ました。ぱくぱくぱくぱく‥‥。ぱくぱくぱくぱく‥‥。すると絶妙なタイミングで素敵な人やコトやモノに出会う。「嬉しいな」と思う。「ありがとう」と思う。


そうしたらまた目の前にエサを見つける。「ありゃりゃ?」とまたぱくぱく食べる。すると今度は見たこともない穴を見つける。「何だろう?この見たこともない穴は?」と興味が湧いたらとりあえず深く考えず「えーい」と飛び込んでみる。


しばらくしたら擦り傷だらけの血だらけで笑顔で上がって来る。「いやいや~、大変だったけどいろいろ分かった」と。そして穴から出て来たら、また目の前にエサが‥。「おほっ♪」ぱくぱく‥。


お空のパパは私たちみんなのことが可愛くて、みんなにそれぞれエサをまいてくれている。エサは道になっているから、食べないと導かれない。


地面にまかれたエサを見つけた時「お♪」とすぐにぱくぱくついばむ小鳥もいれば「ん~?」とそのエサが安全かどうか美味しいかどうか、他の場所にまかれているエサと比べてどちらが美味しいか、やたら吟味してなかなか食べない小鳥もいる。


なかなか食べずにいるうちにすっかり鮮度が落ちてしまったり、他の鳥に食べられちゃったり、風に飛ばされてしまう場合もある。また、疑って疑って疑って、絶対に食べない小鳥もいる。


みんなどうしてそんなに躊躇するのだろう?
ぱくぱく食べながら、ときどき不思議に思う。


楽しいことは起こって欲しいけど、嫌なことは起こって欲しくないから?でもそんなのやってみないとわからないのに…と思う。それにまぁだいたい、素敵なことに出会えば喜べばいいし、つらいことに出会えば乗り越えればいいだけのことだし。



4:人生ゲーム


つらいことに出会った時、それを乗り越えるというのはゲームに似ているなぁと思います。自分の現状レベルに対して難易度の低いゲームばかりしているとだんだん飽きて来る。


ある程度その時々の自分のレベルに見合ったゲームに全力で挑んで、困難を乗り越えられた時の達成感・充実感は体験した本人にしかわかりません。しかもその体験によって、魂の成長という大きな価値が得られます。そこに難易度の高いゲームの醍醐味・妙味があるのです。


不思議なのは皆たいてい遊びのゲームだと自ら積極的にどんどん難易度を上げて楽しむのに、人生の実践ゲームになると途端に保守的消極的になり「失敗しないように」「痛い目に合わないように」と慎重に慎重になる。


一度やって上手く行った、既にやり方を知っているような難易度の低いゲームを何度も何度も繰り返したりする。本当はそのゲームにはもうすっかり飽きているのに難易度をいつまでたっても上げようとしない。あるいはなかなかゲームを始めようとしない。


「安全に安全に」とリスクを避けて暮らしていると、穏やかだけど単調な毎日にだんだん飽き飽きしてくる。飽き飽きした気分は当然つまらない。でもリスクを覚悟して新しい行動に出るのはやっぱり怖い。だって転ぶと痛いし、失敗すると恥ずかしいし‥。


そんな風に実践ゲームは様々なリスクを伴うので、日常でお手軽にワクワクできる疑似体験ゲームに熱中します。テレビでスポーツ観戦をしたり、ドラマを観たり、テレビゲームをしたり‥。


いや、なにも疑似体験ゲームが悪いと言っているわけではありません。疑似体験ゲームの楽しさはわかります。つい熱中するのもわかります。ただ疑似体験ゲームはいくらやっても疑似体験ゲームに過ぎず、実体験ゲームのような魂が震えるほどの醍醐味はないということです。ドキドキ…ハラハラ…やったー!っと興奮・感動はするけど、魂は震えない。


実体験ゲームに手を出さず、疑似体験ゲームばかりをじゃんじゃんやっていると、単に刺激ばかりを追い求めるようになり、刺激がないとイライラするようになります。


なーんにもない時間を「平和だなぁ」とは感じず「暇だなぁ」と感じます。そして「暇を潰す」ために、また別の疑似体験ゲームを探してきて始めます。


そうしていつか単調に繰り返しているだけの魂の震えない日常に、いよいよ心の底から「つまらないな‥」と感じる時がやって来ます。



5:リクエスト


「つまらないな‥」と心の底からつぶやく時、それはお空のパパへのリクエストとなるのです。「呼ばれて、飛び出て、ジャジャジャジャーン♪」


パパは「おぁ、そうかそうか。よっしゃよっしゃ。」とはりきって、難易度の高い実践ゲームを「楽しんでね♪」とプレゼントしてくれる。


なんと、人生に次々とやってくる難易度の高い実践ゲームは、実は、お空のパパからの愛のプレゼントだったんですね~♪


ですから一瞬「ぎょえぇぇ~!!!」と感じるような困難にブチあたっても大丈夫。パパからのホットでビッグなプレゼントと理解して、目をつぶってゆっくり深呼吸。体中の力を抜いて、心から「ありがとう」と思ってみる。できれば声に出して言ってみる。「ありがとう」。


するとあら不思議。一瞬パニックでいっぱいいっぱいになりそうになった頭と心に涼しい風が吹き、光が差し込み、ほんの少しゆとりが生まれます。明るい覚悟も生まれます。その気持ちの余裕がゲームを上手くクリアする助けとなることでしょう。


まぁ泣いても笑ってももうゲームは始まっちゃっているので、そこは潔く受け入れてさっさと乗り越えるのが得策というもの。しょせんゲームなんて慣れですよ慣れ。


慣れたらどうってことありません。「えぃっ!」と勇気を出してやってみないから、いつまでたっても慣れなくて「怖い怖い」とビビりが治らないのです。


別に死ぬわけじゃなし、それにだいたいみんないつかは死ぬんだから。「怖い怖い」と言いながら、どんなに長生きできたとしても、結局それって生きている間、ずーーーっと恐怖の中で暮らしていたという、冗談みたいなマンガみたいな、笑うに笑えないもったいない話ですよね。


そんな風に私たちが皆いつまでもぐずぐずしてるもんだから、お空のパパが愛情いっぱいに崖から突き落とすような暴挙、いえ…サプライズパーティー♪の企画に打って出られるのです。


可愛い私たちがちゃんと進級できるように。ちゃんと笑顔で人生卒業できるように。パパはやっぱりとても優しいです。「パパ‥いつもありがとう」




(2011夏)




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