〜 自分の内に吹いている 風の響きに耳を澄ます 〜

POOLの今まで

POOLの今まで

大阪市東淀川区で生まれる。小学四年で奈良に引越し、小中高大と奈良ののんびりとした中で過ごす。

大学卒業後、学生時代に知り合った作庭家の古川三盛氏のもとで植木職人となる。その年の冬に仕事でしもやけになり、「古川さん、来年の冬には私は絶対に南の島で暮らしていますから」とあてもないのにお腹の底から声に出して宣言する。

その半年前の夏に、大学時代の友人で現在料理研究家の高野克典氏と道でばったり再会していた。近況をたずねると、「千葉で私立高校の教師(英語と美術)をしているが、春からシンガポールの日本人学校に転勤することになった。」という。

その頃から料理上手だった高野氏に「移住前に料理を習っておこう!」
と冬の間に数日訪ねたところ、あまりにも楽しくて、数週間後に結婚。

春から私も一緒に常夏の島シンガポールへ。日本が冬の頃、ヤシの木陰のプールで泳ぎながらふと宣言を思い出し、「お腹の底からの宣言って効くなぁ・・・」と不思議な気持ちになる。

しかし、一年半が過ぎ、仕事が忙しくて大好きな料理も読書もする時間がない高野氏を見て、「こんな生活間違ってるよ、もう辞めて帰ろ。」と退職をすすめる。

 1992年春、帰国。2人ともそれぞれ一日2~3時間ぐらいフリーの仕事をして生活をささえ、他の時間はそれぞれ好きなこと(私は企画、彼は料理の研究)をして暮らす。

1992年秋冬、アート屋台イベント「ぷぅるぅ’sマーケット」を奈良町にて開催。

1993~94年、奈良町にて春から秋までの毎週日曜日、晴れたらOPENする青空カフェレストラン「ケルコラカフェ」を2人で企画・運営。自家製の天然酵母パンや野菜・豆・雑こくを中心とした高野の創作料理を出す。

1995年から「ケルコラカフェ」は定住型から移動型へと移行。各地のアートイベントへの参加やパーティーケータリングなどに出かける。ネットワークがダイナミックに広がっていくことの楽しさを知る。

1997年春内的変革が起こり、自分の内側の声が聞こえやすくなるとともに、その声に対して誠実に行動する勇気も持てるようになる。

1997年夏、8月8日(無限大、末広がりの日)の朝の散歩中にふと「結婚をやめる」というアイデアがひらめく。早速、家に帰って高野氏に伝えてみると、ナントむこうも同じ時に同じことを思いついていたらしく「やっぱり、私たちの心はひとつやね!」と一週間後に円満離婚。

この数日後、佐渡島に渡る船の上で、声の響きだけでひらめくままに歌う「なみふうら」がはじまる。

1998年春から1年間、9年ぶりに古川さんのもとで庭仕事をする。
「やっぱり外で土や植物に触れて仕事をするのは気持ちいいなぁ」と思う。この頃から「奈良の街を離れて、どこか田舎で暮らしてみたいなぁ」と考えていたところ、

1999年春、不思議な縁があって岐阜県加子母村の森の交流大使(*1)に就任。2年の任期で村づくりの企画の仕事をする。

この期間にワークショップの企画・運営方法を学び「かしも村探検」や「色で遊ぼう」などのワークショップを企画。

この頃から自己の脳内アイデアファクトリーにて「脳内お天気しあわせ研究学会」(*2)が始まる。

2001年春、岐阜県立情報科学芸術大学院大学に入学。「人の中に眠っている可能性の種を目覚めさせる方法」について研究。「+cafeプロジェクト」を立ち上げる。

2003年春から京都に移り住む。また庭の仕事をしながら、2003年秋から2004年秋の一年間に

「おくるみ展+週替わりカフェ」
「紙紫色見本装丁展と布紫色見本洗濯展」
「乳母車カフェ」(*4)
「おひるねカフェ」(*5)
「アイデアの工場」(*6)
「眠りの物語と子守歌の夜」

などを次々と企画・実施。楽しいけれど忙しい日々を過ごす。

人にくつろいでもらう企画をしながら、自分自身はものすごく忙しい…
という状況に段々と疑問を感じるようになってきたのでした。

(次号へ続く)→ おそうじから暮らしの宿へ(2004冬〜2005春)

注釈
*1:岐阜県の山村の村づくりに外からの風を入れようという県の企画事業で、1995年~2001年までの6年間、2年ずつ3期にわたって実施された。

*2:ある日突然私の頭の中で「♪パンパカパーン♪」と音が鳴り「え?え?」と驚いていたら、また頭の中でピラピラピラ~~っと万国旗が広がり、「脳内お天気しあわせ研究学会ー!」と声がしたかと思うと「しあわせエネルギーの法則ー!」と開会宣言のような文章が出てきたのでした。

*3:人の中に眠っている種が発芽し、育ち、花を咲かせ、実り、次の種を生み、伝播していく・・・。これらを促進させる装置としての場(時空間)づくりを『+cafe』(波を起こすしかけとしての何らかの企画+自由な交流場としてのカフェ)というスタイルで行う。人の中に、そして人と人との間にゆるやかな波を起こしていこう、というプロジェクト。

*4:1対1のセッションのカタチで子守歌のコースをする屋台。POOLの子守歌は歌詞がなく、一人ひとりの方に向かった時に感じられる、その方の中心にある光のようなものを音に変換して、声の響きで歌っています。子守歌のコースは「色糸あわせ」→「糸でんわで子守歌」→「お茶の間」→「色糸薬」→「お守袋」と、一つの流れになっています。昔の籐でできた乳母車にコースで使う道具などをのせて出かけて行くのと、コースの中にお茶の時間があるので「乳母車カフェ」と名づけました。

*5:おひるねをしてもらうためのカフェ。
京都知恩寺の塔頭内の小さなお堂を借りて、数回イベント的に行いました。やわらかなしつらえ空間でのおひるね1時間+お目覚め後は縁側カフェにてごゆるりと。「おひるねカフェ」は、ご自分と一緒に過ごしていただく静かな時間を大切に‥というコンセプトでした。

*6:参加者6人という少人数制で3ヶ月間にわたって行った長期ワークショップ。一人一人がその人の中心(オリジナリティー)で生きられれば・・そこから生まれてくる様々なアイデアやモノや事柄を他の人と分かち合えれば・・世界はきっと、もっと素敵で楽しいところになるだろう。『アイデアの工場』は、そんな願いから生まれたPOOLの実験プロジェクトです。






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