〜 自分の内に吹いている 風の響きに耳を澄ます 〜

セルフサービス万歳!

セルフサービス万歳!


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恋愛関係とか夫婦とか
家族とか友達とか

人間関係
なんでもそうですが

まず個々がそれぞれ
自分の足で立つことが大切

それが健全で良質な
関係性の土台です

自分の面倒は
自分で見ること

ここでいう面倒とは
精神的な面倒のことです

そして相手に対する
尊厳を失わないこと

それにはまず
自分自身に対する尊厳を
失わないことが大切です

相手に対して失礼な態度や
不当な扱いをする人

あるいは相手のことを思いやらず
自分中心の無理な要求をしてくる人は

相手に甘えているわけです

こういう態度に甘んじる
困りながらも受け止めてしまうと

一人で立てないその人を
こちら側から支えるという構図を

一緒になって
作り出してしまうことになります

それがひどくなってくると
お互いその関係性無しにはいられない

という少々やっかいな
感じになってきます

例えば
ドラマなどでお馴染みの

「私がいないとダメなのよ
 あの人は…ふっ(笑)」
というように

甘えられる側がそこに
自分の存在意義を見い出し始めると

甘える側はその人といる限り
精神的に自立して生きることが
さらに難しくなります

甘える方が
相手に対する尊厳を踏みにじる
ことから始まったのですが

それに甘んじた瞬間に
甘えられる側は自分の尊厳を
相手に明け渡したことになり

自分で自分を
不当に扱ったことになります

私たちは
人から不当な扱いを受けた時に

相手によって傷つけられたように
思いがちですが

本当は
それに甘んじて

自分で自分を
明け渡したことによって

自分の中心が
深く傷ついているのです

ことを荒立てたくないから
とか
相手の方が立場が上だから
とか
とっさにどう対応していいのかわからないから
とかいう理由で

甘んじるという選択を
自分がしたにも関わらず

たいていは
自分を不当に扱った相手に対して

後から「ひどい!」と
腹を立てたり、泣いたり、恨んだりします

でも
受けとったのは自分なのです

受け取りたく無いものは
受け取らなければいいのです

そうすれば
自分の尊厳は失われません

相手が出した
甘えのエネルギーは

誰にも受け止めてもらえず
宙ぶらりんのままです

それは出した本人にとって
かなり心地の悪い状態なので

相手は同じことを
安易に繰り返すことはなくなるでしょう

またこの
「受け取らない」という態度は

自分の尊厳を守ると共に
相手の尊厳を守ることにもつながります

相手を弱い存在と見ないからです

相手は今は甘えられる人を
常に必要としているけれども

本当は自分の足で
しっかり立てる人なんだ

という
深い信頼と愛の気持ちを持って

さらりと柔らかく
ニッコリ笑って

他人の甘えは
全て丁寧にお断りしましょう

自分のスペース
時間もエネルギーも

かけがえのない自分のものです
大切に扱いましょう

他人のスペース
時間もエネルギーも

かけがえのないその人のものです
大切に扱いましょう

私たちは本来
限りなく自由なのです

その自由を制限するのは
環境や他人の態度などではなく

自分自身の考え方と
態度だけです

自分以外の誰にも
自分を傷つけることなど出来ないのです

自分の責任を自分で取る

つまり全てのことを
自分の意思で選択し行動する

これが自由を手に入れる鍵なのです

真のしあわせとは
限りない自由と共にあるものです




さて次に
自分の面倒を自分でみる具体的な方法
について述べたいと思います

自分の面倒は自分でみる
それはつまり

心の飢えや乾きは
「基本的に自分で癒しましょう」
ということです

自分にたっぷりの栄養と
たっぷりのお水を与えるのは
自分自身の仕事です

人にねだったり
人から奪うものではありません

愛という名のもとに
人から貰おうとする人は
たくさんいらっしゃいますが

そういう人にとって大切なのは
「自分自身だけ」
という場合が往々にしてあります

それは「純粋な愛」などではなく
「100%ピュアーエゴイズム」でございます

どうして皆
自分で自分を愛することをせずに

人から愛を貰おうとするのでしょうか?
エネルギーを奪おうとするのでしょうか?

それは
「自分で自分を慈しみ満たす」
という発想がないからです。

それ以前に
自分の飢えや乾きに気づいていない
場合もあります

まず
「自分の淋しさに気づくこと」
これが始まりの始まりです

自分の淋しさに気づいたら
その淋しい自分を両手でそっと抱きしめて
しばらく静かに味わいましょう

涙が出てくるなら
泣けばいいのです

自分の深いところに触れた状態で
さめざめと泣くのは
とても心が安らぐものです

(これは感情に溺れて泣くのとは違います)

そうすると
不思議と淋しさは
溶けて消えていきます

深いところで
ほっと心がくつろぐことでしょう

これを「自分ヨシヨシ」といいます
これ、結構使えます

さんざん泣いてほっとしたら
だいたいお腹がすきます

そしたら好きなものを
お腹いっぱい食べればいいのです

すると
かなりしあわせになります

ほっとした上にお腹いっぱいになったら
だいたい眠くなります

そしたら気が済むまで
たっぷり眠ればいいのです

たっぷり眠って
目が覚めたら

気分爽快でお腹の底から
元気が沸き上がって来ます

そうしたら
その時に一番やりたいことを
思いつくままにやればいいのです

赤ちゃんの時は
誰でも自然にやっていたことです

大人になって
忘れてしまっていましたね

でも基本はここなのです
人の自然はここにあるのです

本当はこんなに単純なんですね

頭で考え過ぎて
複雑になってしまって
何だか混乱してしまいがちですが

しあわせって実は「セルフサービス」で
簡単に手に入れられるものなんですね~

ところで
やりたいことをやろうとすると

上手く行く時も
上手く行かない時もあります

上手く行く時は愉快だし
上手く行かない時は不愉快です

ここです、ここからが
赤ちゃんと大人の違いです

赤ちゃんはここで不機嫌になり
泣いたり暴れたりします

これは仕方のないことです

なぜなら赤ちゃんは
口や手足がまだ不自由だからです

私たちは大人です
自由です

ですから
上手く行かない場合は立ち止まり

観察し、考えて
自分で対処することが出来ます

やりたいことをやってみて
上手く行って愉快になるのを
「人生の楽しみ」というならば

やりたいことをやってみて
上手く行かなくて困るのは
「人生の醍醐味」と言えるでしょう

これがあるから
人生面白いわけだし

成長・進化する「きっかけ」は
ここにしかないのです

なのに
せっかくのこの妙味を味わわず

味わわないどころか

上手く行かないと
すぐに不機嫌になって

赤ちゃんでもないのに
泣いたり暴れたり‥

それだけならまだしも

口や手足の自由が利くのをいいことに
他人に危害を加える人までいます

こういう人はもちろん
成長や進化の楽しみとは無縁です

しかし人とは本質的に
成長し進化を求める生き物です

ですから
欲望を満たすためだけに生きていると

真の充足感というものは
いつまでたっても得られません

するとどうなるかというと
いつも何だか満たされず

虚脱感でポッカリしたり
意味もなくイライラしたり

わかりやすい表面的な欲望を満たすことに
やっきになったりします

表面的な欲望というものは
たいてい外に求めるものなので

上手く手に入れられる時と
そうでない時があります

上手く行くと
さらに欲しくなり

上手く行かない時は
不愉快になる→泣く、暴れる

の繰り返し

これではエネルギーも莫大にいるし
へとへとになるし
どこまで行っても満たされないし‥‥

いやホント
これは大変だと思います

でもまぁ
はたから見ていて大変そうでも

本人がそのやり方を気に入っていて
特に困っていないなら
別に変える必要もないわけです

基本的に自由なわけだし♪

人に迷惑をかけない範囲で(ここ大事!)
みんな自分の好きなやり方で生きるのが
一番良いと思います

私はどちらかと言うと‥

省エネ&自家発電
セルフサービスで公害も少ないのが
好みでございますので

安全・安心・安価をモットーに
平和で自由で楽しい人生を

お気楽にきゃらきゃらと
生きていきたいと思います




(2011春)





脳内お天気しあわせ研究学会







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